もう20数年も前にこの世を去った、尊敬すべき父のことを思い出します。兵庫県の海に近い小さな町の医者であった父。患者さんといえばほとんどご近所の顔見知りのおじいちゃん、おばあちゃん、おじちゃんにおばちゃん、そして、子ども達。日頃、町の通りで顔を合わせ挨拶し、一緒に町内のそうじをしたり、お祭りの準備をしたりしている人々です。些細な心配事でもすぐに、相談におとずれ、あれやこれやとおしゃべりしては、にこやかに帰って行ったものです。おっぱいを飲んでくれない赤ちゃんの相談相手になり、おばあちゃんの腰痛の治療、時には手の切り傷の縫合をしたり、やけどの手当てをすることもあります。もちろん、自分の能力を超える患者さんは大きな病院に紹介します。そして病院での検査、治療を終え、地元にもどったら再びお付き合いが始まるのです。時には癌末期で残り少ない日々を我が家で過ごすおじいちゃんの痛みを和らげ、家族の苦しみに耳をかたむけ、最期の日まで看取るということもありました。病を治すだけではなく、苦しみを共有し傍に寄り添って安心を提供していたのではないでしょうか。
疾患だけを診るのではなく、一人の人間として患者さんを診るということはどういうことなのでしょうか?患者さんの病気について、臓器を越え、心の問題、家族背景までに心を配り、患者さんが今どのような気持ちで、何を心配して、そしてどのようにして欲しいのかを常に心にとめて接する医療ではないでしょうか。
ビルの一室での診療でかなえることのできない夢かもしれませんが、幼い頃の脳裏に残っている、あの人へのやさしさだけは大切にしたいと思っています。患者さんが安心を得ることのできる心をこめた医療ができればと願っています。
文責:伴 彰子