例えば、どうしても疲れがとれない時があります。単なる寝不足だろうか、それとも・・・。また、突然の動悸に不安を覚えることも。日々の生活の中でちょっとした体調の変化に芽生える小さな不安があり、でも忙しさにかまけて放って置く。医者に行って「何でもないですよ。」と一笑に付される(と感じてしまう)のが嫌だから行かない。そんな経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。私にもあります。
かかりつけ医、ホームドクター、家庭医といろいろな呼び方があります。腹が痛いと訴えると、いつも胃腸炎の話をする医師が実際にいました。「風邪から来る胃腸炎ですね」。既往症も食生活も何も聴こうとしません。それで良いのだろうかと感じます。別の開業医を受診すると、両親の既往症まで尋ねられることがあります。その医師は私の生活背景まで知った上で診断しようとしてくれるわけです。父が受診した時は、検査結果を見て素早く他の医療機関を紹介してくれました。「自分は入口を判断する。そして専門の先生を紹介するのが役割だ。」と言われます。救われる思いがします。そして父はその先生をかかりつけと決めていました。
病弱だった頃の自分、加齢を重ねて、その上にストレスにも注意しなければならなくなった自分の今を考えます。「とりあえず、そこに行けば何とかなる」クリニックが欲しい。幅広く可能性を考えて、診断、判断してくれる医師をかかりつけとしたい。身体も心も心配になってくる年頃を迎えて、「安心」が何よりも欲しいと思います。だから偉い先生でなくても良いから、いろいろなことを見落とすことのない、キチンとした開業医を期待したいのです。
「そこに行けば何とかなる」クリニック。顔の見えるクリニック。そんなクリニックが欲しいという想いがずっと自分の中にあります。自分も患者の立場から参加したいと、そう思い続けてきている私です。
文責:松村眞吾